Gone with the wind
自分達は蛇蝎か何かなのか。
さも、そう言いたげな双眸で見据えられて、手塚は顔色を僅かに失くし、リョーマは不興そうに顔を歪めた。
「その羽が君の背から落ちた時、君は何をしていた?疚しいことをしていたんじゃないの?」
そこの眼鏡の彼と。
河村には似合わない、人を見下した顔付きで、彼に顎で指し示され、手塚は視線を砂地に落とした。その隣のリョーマも、彼の動きを辿って、手塚を一瞥するけれど直ぐにまた正面の天使へと視線を戻した。
「やましいこと?何もしてないよ。ただちょっと触ってただけだけど?」
「それが………―――禁忌だと、ボクらの父への冒涜だと言ってるんだよ」
言葉の勢いが、少しばかり荒げられる。リョーマに臆した気配は無いけれど。
「その不道徳な行為故に、君に預けたボクの羽は腐り、遂には地へと堕ちた。とんだ期待外れだ」
「………あのさあ…」
唾棄した様子で、冠りを振る彼に、リョーマはこれ以上ないくらい不機嫌そうに顔を顰めた。
いつもの倨傲さも豪儀さもそこには形が潜められ、憤った気配だけがただ存在していた。
「タブーだかなんだか知らないけど、なんでそんなに偉そうなの?勝手に植え付けて、人の力で自分のもん育てさせて、それがダメになったらオレのせい?期待外れ?」
憤慨さは次第に殺気しみた気配を帯び、一歩足を進めて来た鋭利な眼差しに、彼はたじろいだ様に半歩後ずさった。
得も言われぬ恐怖感が、足下から立ち上ってくる様だった。
冷たいのか、将又、熱いのか、温度が感じられぬ汗が、じわりと浮き出た。
「…誰がそうしてくれって頼んだよ?」
ざ、と小さな砂埃が上がる。
リョーマが至近距離で足を止めた。
立ち竦む彼の膝が、けたけたと甲高い声で笑い出していた。芽挿し風情の人間に何を怯んでいるのかと、嘲け笑うかの如く。
射竦めて来るたったふたつの目が、ただただこちらの恐怖感を煽って来る。小さな少年の険しい目が、ピアノ線染みていて、痛い。そして、
怖い。
「ボ、ボクが選ばなかったと、しても…、いつか、他の誰かが、きっと君には羽を預けた。君は、生まれついてそういう定めを負っていたんだ!」
「…サダメとか、運命とか、確かにそういう道の上に居るんだろうけどさ、だから、何」
「な、何…って…」
「今のオレの道だって、そのサダメってやつのひとつじゃないの?カミサマに好かれることも、裏切ることも、アンタの羽がダメになるのだってさ」
ねえ?と同意を求めてくる目は懐柔さなんて微塵もない。アグリメントではなく、これはただの脅迫だ。
少なくとも、同意を求められている彼にはそうとしか受け止められなかった。
自分にも、父を裏切れと、そう脅して来ている。
全てをあるがままに受け止めてはいけない。それは彼の世界の鉄則。
全ては父であり、絶対の権力者である神の意のままで無くてはならず、それに従う能しか、彼の中には存在しえない。
裏切るだなんて、それこそ、天と地がひっくり返ろうと、彼には思いつきもしないし、また実行に移すことも出来ない。
神の小間使い以外に、彼のレゾンデートルは無い。
笑う膝は、遂には大口を開けて辺り一面に谺する程に姦しく笑い声をあげた。血の気がどこかへと去っていく。
「だから、もう今回のはしょうがなかったんだよね。アンタが見る目無かったんだよ」
「君が…っ!君が道さえ誤っていなければ、」
こんなことにはならなかった。
顔面を蒼白にさせながらも、尚もそう言い募ろうとした彼の言葉を、リョーマは疲れた溜息で掻き消した。
その場に重く落とされた溜息に、彼は息を飲んだ。ひゅっと、喉が鳴る。
「あのね、オレのせいじゃないんだよ、全部はアンタの見当違いなの。
いい?アンタが羽植えてくるより早く、オレは部長と出逢ってたし、部長のこと好きになってた。オレがこの人と道を歩いてる最中に、アンタが勝手に横槍入れてきたんだから、道間違ってるのはそっちの方じゃん」
部長もそう思うよね?
急に矛先を向けられて、リョーマと天使との対峙をただ傍観していた手塚は、ほぼ反射的に肯定の返事を遣っていた。
ほらみろ、とばかりに誇らし気に笑みの形をつくって河村の格好をした天使を振仰ぎ直すリョーマの横顔に、彼の言い分に改めて手塚は検討を施す。
確かに、物事の順番としては、リョーマが言った事は正しいだろう。
12年間と14年間のお互いの生活がこれまでにあって、13年と15年目にして漸く出逢い、惹かれ合って恋に落ちて、既に仲睦まじくしていたところに、天使の彼が舞い降りてきた訳で。
きっと、種をリョーマに植え付ける段階で、彼は自分とリョーマの仲を知らず、健全な少年だと勝手に見込んで、己の成長の手助け役に白羽の矢を立てたに違いなく。
そしてこの期に及んで、漸くリョーマの正体を知り、詰り出した訳だが―――。
神に生まれついて愛される人間の数など、手塚は持っていない知識だが、きっとそうそう存在している訳ではないのだろうと思う。
リョーマを間近で見ていれば、こんな人間がそこらに転がっていた記憶など無い。15年目の僅かな人生の中で、リョーマの様な人間は初めて見た。
きっと、恋人の欲目だけではない。現に彼の周囲の人間は、普遍的な12歳の少年以上の評価を彼に与えている。
神の寵愛を受けた、否、それは過去形ではなく、受け続けている現在進行形の男。
「……ん?」
ちょっと待て。
思考に停止の処理をして、手塚は石階段の頂きで尚も対峙しあっている二人組に視線を投げた。
羽が生えた理由は、リョーマが神の寵愛を受けている子供である証を、自分達には見えない魂に施されているからだと、今、リョーマを目の前にして身を小さく震わせているこの件の実行犯が、自らの口で告げたこと。
そして彼はまた、リョーマと手塚の関係は神への冒涜だと、禁忌だと言ったけれど、リョーマが羽を生やしたのは、既に冒涜や禁忌を働いていたこの時期。
印とやらは、一生消えないものなのだろうか…?
果たして、リョーマのどの部分を神とやらは気に入ったのかは知らないけれど、その子が自分への反逆めいた行いをしても見限らないものなのだろうか。初犯の時にでも、さっさと消してしまうのが道理ではないだろうか。
自分を裏切り続けているその子を見放さないという事は、今回の一件の黒幕――と豪語しても過言ではないだろう――である天上の主は、今迄の行為を裏切りとは見ていない……?もしくは、既に諦観しているか、それとも、消すことは不可能か。
消せない代物ならば、上から取り消しの印でも押すか、羽を育ててくれる宿主を探す子供達に伝達しておけば良い。
『あの者は、我が道に背いた者なり』
とでも。
そうすれば、視線の先に居るような被害者は生まれない。
彼は、何も知らなかったのだ。
リョーマが、神とやらの取り決めた道に背いていること。
彼が、知っていたのはひとつだけ。
『魂』に印を持った子供は、自分の成長には必要不可欠だということ。
「…………被害者、だな…」
あの子は。
たじろぎ続けている同輩の姿を、憐憫の思いで手塚は眺めた。
加害者は、リョーマでもなく、リョーマの恋心を勾引した手塚自身でも無く、きっと、黒幕のカミサマ。
どこの世界にでも、自分勝手で気侭な者が居るものだ。
手塚は、ずっと下ろしていた腰を漸く上げて、すぐ傍で原型を留めていない程、腐敗しきっている『元』翼を拾い上げた。
ずっしりと、重い。しかも両手で抱え上げても余る。加えてぐにゃぐにゃしていて気持ち悪い。饐えた臭いもほんのりと香っていたりして、あまり顔には近付けたくない。
それでも、それらを耐えて携え、手塚はリョーマ達の間に割って入った。
急に割って入ってきた手塚を、リョーマも彼もやや驚いた様な目で見遣る。そんな4つの目を意識しながらも、手塚は拾ってきた腕の中のそれを彼に向かって差し出した。
「持って帰れ。それから、こいつの元にはもう誰も寄越すなと、お前の兄弟達に伝えろ」
「な……っ!」
「それがお前達の為だ。ああ、あと、お前の親父さんにもこいつをこのまま野放しにしておくつもりなら、周辺管理をもっと徹底しろと伝えておけ。責任者たる者が怠けているから今回の様な事態になるんだ」
わかったな、と凄んでそう告げれば、むすりと、河村の頬が膨れた。
途端にリョーマが「河村先輩の拗ねた顔、初めて見た」と軽口を叩くものだから、手塚は視線で窘め、そして当のリョーマは、ひょいと肩を竦めて、悪戯っぽく舌を出してみせた。
そんな二人の遣り取りが済んだ頃に、自称天使の彼は、手塚によって差し出されていた黒く朽ちた物体を受け取った。
「……次こそ、真っ当な宿主を探すよ」
「お前も、もう少し観察眼を養え」
「君も、恋人を探すならもう少し温厚な子を探したら?こんなのと付き合うなんて、ボクなら怖くてごめんだね」
「どんなのと付き合おうが、俺の勝手だ。自分の意見を人にも押し付けたがるその性格も、少し改善した方がいい。きちんと自分の考えを持っていることは褒めるべき点だが」
「部長、オレも褒めて褒めてっ!」
「…また今度な」
ぽむ、と頭に手を遣られて、リョーマは不服そうに唇を尖らせた。
「人間て、よくわからない」
「オレだって、天使がよくわかんないよ」
「君達よりはきっと素直で純粋だよ。……………じゃあね」
ふっ、と河村の腕の中の黒い物が霞み、次第に姿を無くしていき、それが全て消滅すると同時、かくりと河村の膝が折れて、彼は意識を無くした様だった。
「…一件落着?」
その場に残されたリョーマは、同じく場に残留した手塚を見上げ乍ら、楽しそうにそう言った。
辟易した嘆息を漏らしつつ、「恐らくな」と手塚は空を見上げた。
そこには、つい数時間前までリョーマの背で風と遊んでいた翼と同じプランクホワイトの雲が、ひとつ、ふたつ。
To be continued。
書いてて頭がぐちゃぐちゃしてきたのは他でもないわたしです。推敲がてらに読んで頭がうにっとなったのも他ならぬわたしです。
否定したり肯定したり、手塚君は大変だー
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