カムバック
















ぱたり、と事の一部始終の報告を受けた乾は手の中のノートを閉じた。

「めでたしめでたし、というところだな」
「そうッスね」

名目上はメニューの伝授でコートの端で二人は立つ。
部活中の怠慢は厳禁、という部長の指導の下では建前のひとつでもないと他愛無い雑談でも檄が飛ぶ。
全国を目指す屈指の中学ともなれば、当然とも云えるが当の部員達はそんなプレッシャーはどこ吹く風とばかりに至って飄々としていた。

「やはり、手塚の中にはまだアレは残っていたんだな」
「やはり、ってそれ知ってたんじゃなかったんスか?」
「いや、高確率だったとは云え、100%とは言い切れなかったな。越前はどこで気付いたんだ?」

まだ日の高い休日の練習に燦々と降り注ぐ太陽を遮る様に、乾はノートの角をこつりと自身の額に当てた。
好奇心と不思議の色の顔をする乾の顔を振仰ぎ、リョーマは自分の頬を指し示してみた。

「ココっすよ?」
「頬か。それで、そのココロは?」
「わかんないッスか?」
「わからないなぁ」

戯けたように言い除ける乾の様子から察するに、恐らく彼なりに予想はついているらしい。
それでも、リョーマは回答を与えてやる事にした。視線だけで話題の中心となっているコートふたつ向こうの手塚を見遣れば、乾もその視線の後を追う。

「部長ってね、オレがアプローチかけた辺りからオレと喋る時だけココが少し赤くなるんスよ」
「初々しいねえ」
「この人の中にはあの頃の記憶は残ってるんだな、ってそれで気が付いたってワケっすよ」
「手塚が無くした記憶は越前との距離がかなり縮まったところからだった、というワケか?」
「ご名答」

頬に当てていた指をピン、と外側へ立ててみる。
向かいの乾もにやりと笑った。

「だからさっさと片思いをやり直せと俺は言ったんだよ」
「だから行動を起こせって言ったんでしょ?」
「ご明察。流石に、俺と手塚が惚れ込んだ男なだけある」
「惚れ込まれるのは部長だけでいいッス」
「つれないね」
「アンタはあのヘビのケツおっかけてるのがお似合いッスよ」
「ヘビとは失礼だね。アレはアレで、君にも負けないくらい可愛らしいところがあるんだよ」
「ただでも夏日で暑いんで、ノロケは別のとこ行ってやってください」
「本当につれないね」
「越前!」

一通りの言葉の応酬の後、乾がやれやれと肩を竦めてみせるのと同時に凛とした声がこちらに飛んでくる。
巨木と幼木とは揃ってそちらを振り返った。先程、横目で盗み見た渦中の人物を。

「やれやれ。記憶のリロードと共に俺のことは蚊帳の外か」
「ま、当然じゃないッスか?それじゃ、呼ばれてるんで、オレ行きますね」

日に映える白いキャップの鍔を引き下げるようにして会釈をし、リョーマは乾の元を去り、手塚へと足を向けて駆けて行った。

「さて。言われた通りに可愛いあの子の後でも追いかけるとしようかね」

小さな背中が痩身長躯の元に辿り着いたのを見届けて、乾も踵を返した。








「乾と何を話していたんだ?」
「何って、別に?練習メニューについて」

険しい眼で尋ねられるも、リョーマはさらりと躱す。
確かに、本題に入る前にはきちんと発言通りの会話もしていたのだ。決して丸きり嘘という訳ではない。

それでも、手塚は固く引き結んだ唇を緩めることはなく、疑う様に半眼でこちらを見下ろしてくるものだから、ひょいとリョーマは鍔を持ち上げて眸を覗かせ、不敵に笑ってみせた。

「心配?浮気してたんじゃないかって」
「誰が心配なぞするか。さぼっていたんじゃないかと疑っているんだ」
「別にいいんだよ?嫉妬してくれても」

誰が嫉妬などするか、と何とも可愛らしく無い台詞を言ってくるも、その頬はまた色付き始めていて、リョーマの愉悦を誘った。

「可愛い」
「なっ…!」
「あー、カワイイカワイイ。叫びたいくらいに可愛くってどうしたらいいと思う?」
「訊くな」
「かーわいー」
「…………。もう知らん。勝手にグラウンドの10周でも20周でもしてこい」
「気が向いたらね。ね、部長」

ぷい、と視線を逸らせてしまった華奢な恋人の裾を引く。
数日前までは彼の視線を占有する為に、半ば日常的にしていた行為。ほんの数日前までは、やりたくともすることを躊躇っていた行為。
拗ねた様に眼の縁を俄に朱に染まて振り返ってくれる姿は前者に存在していた懐かしい姿だった。

「好き」

からからに乾いた夏の中で快活に咲う向日葵宛らに、潔く告げられた言葉に思わず組まれていた腕とヘの字に歪められた口元が解けた。
にこりと、言葉を補うようにリョーマは朗笑した。

すぐ傍で耳を峙てていたらしい菊丸と不二が囃し立てる様に、ピュゥイと指笛を二人に浴びせかけた。

「部活中だぞー、手塚もおチビも」
「二人で仲良くグランドでも走ってきたら?」

出歯亀の二人組に、手塚は今にも憤死しそうな程に顔を赤らめさせた。







無くした記憶を甘い予感に変えて、手塚の腕を引きつつリョーマは校庭へと歩先を向けた。




















カムバック。
間をすっとばした様にみせて大団円にて幕。
帳尻合わせは足りていたかしら…。どぎまぎ。
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