手引き
















手塚が山に登ることを趣味としていることを覚えたことはリョーマの記憶に新しい。
オフの日に、何気なく自分とこうして過ごす前には休日をどう過ごしていたのかを尋ねた時にそう返されて、てっきりインドア派かと思っていたリョーマを些か驚かせた。

その彼が登る山の天気の様に、今日はころころと機嫌が変わるものだと、帰り支度をする手塚の後ろ姿を思いつつ、リョーマは自嘲した。












確かにこの頃、様子がおかしい気はしていたが、愈々本気で違和感を手塚は感じた。
奇怪さを催しているのは、誰でもない、一緒に帰らせてと尋ねるでもなく確認でもなく、どちらかと言えば、懇願された形で岐路を共にする事になった期待のルーキーに対してだった。

一緒に帰る、とは言っても、手塚とリョーマの家の方角は違う。
そこの辺りを部室を出たところで尋ねてみれば、バス停まででいいよ、と返ってきた。

「部長がバス通学なこと、知ってるし」

と、楽しそうに付け加えて。


特に話題も思い付かず、黙々と歩いていればリョーマも口は開かなかった。
ただ二人隣合って、正門までの道を歩いた。
一体、何用があって共に帰りたがったのか、一歩進むごとに手塚の中で疑惑は膨張していく。

そして、それ以上に、ここ数日、畏まる様だったリョーマの態度がこの時になって一変したことも手塚の中で謎を混迷させた。
先述した様に会話はこそ無いものの、雰囲気がまるで違った。
僅かに交わした会話の語調も随分とフランクなものに変わっていることがそれを更に印象づけた。



そして、結局、部室を出てから正門までの道程では言葉は交わされることはなく、バス停迄安易に到着した。
黙したままのリョーマを盗み見れば、上機嫌そうに口元を緩く吊上げていて、やっと手塚は彼の真意を尋ねることを決意した。

「なんなんだ、今日のお前は」
「別に?視界が晴れるって気持いいなって思ってるだけ」
「視力でもよくなったか?」
「誰かさんのおかげでね」
「そうか…」

何かの比喩なのか知らないが、とりあえず、いいことがあったらしい、ということは判った。表情と雰囲気からして、既に明白ではあったが。

「それで、俺と一緒に帰ることには何の必要性がある」
「確信をよりクリアにしたくて」
「なんの暗号だ。俺にはさっぱりわからん」

本当に、一欠片もリョーマの考えは掌握できなかった。表情を険しくさせる手塚とは対にリョーマは上機嫌を崩しはしなかった。
寧ろ、より一層愉快そうに目を細めて頬を緩ませた。

「わからないで、そうやってくれてるってとこが嬉しいね。予想通り」
「謎掛けなら誰か別の奴とやってくれ」

生憎と暇ではない、とバスが来るまでは明らかに何もすることなどない手塚は無愛想に告げた。

「ねえ、部長」

いつも見せるような、強気な薄笑いとは質の異なった穏やかな笑顔でリョーマは手塚を振仰いだ。
この後輩のそんな顔など、手塚は『初めて』見る。
人並みに笑顔ができるのだな、と、それまで持っていた偏見を覆されただけだった。

名を呼んだ後、少し踵を持ち上げて、内緒話でもするかのように口元に掌を当ててリョーマは手塚の耳元目がけて囁いた。

「好きな人いるでしょ?」

自分達程度の年頃の少年少女ならば、よく話題にするようなそんなセリフを。
まさか、それがこの色事には関心を持たなさそうに思える後輩の口から出てきたことが意外性に富み過ぎていて、手塚の反応は一瞬遅れた。

「…は?」
「オレ、その人が誰かも知ってるよ」

リョーマの意図するところを判じ兼ねて、間の抜けた声をあげる手塚にリョーマはさらに嘯いた。
鼓膜を通してやってきたまだ幼い声音の少年が告げた言葉の群れを聴覚中枢で何度も咀嚼する。やっと嚥下した頃には、視線の端に待っていたバスの姿が見えていた。

「オレもね、いるよ。好きな人」

リョーマが告げる。振り返れば、見慣れ始めた猫に似た双眸がくるくると舞う様に愉しそうにこちらを未だ見上げていた。

「どうも、両思いみたいなんだよね。相手は気付いてないみたいだけど。本能で好きでいてくれるみたい」
「そ、そうか…」

だからどうした、とは言えなかった。普段の手塚国光その人ならば、その手の話は話半分にしか聞きはしないというのに。

ゆっくりと視線の向こうのバスは減速を始めて、手塚とリョーマの前に滑り込むように到着した。
軋む様な音をさせて自動扉が目の前で口を開き、反射的に手塚はそこへ一歩を踏み出した。

「もうすぐ、告白しようと思ってんスよ」

バスのステップに足をかけようとした手塚の背に向かって、リョーマが言う。
その言葉に手塚が振り向くよりも早く、リョーマが次の句を告げた。

「覚悟しててよね」

そう言ったリョーマはいつも通りに勝気に薄く笑って、身を翻した。



気付けば、運転手に詫びることもせず、手塚はステップに乗せていた足を退かせて小さな背中を追っていた。



















手引き。
また『転』くさい感じしますね…。
リョーマが気付いた真実とは…!?そしてリョーマの後を追った手塚の行動とは…!!!?(ノリノリですね、アナタ)
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