two-words,ツーワーズ。
麗らかな陽気の中、リョーマはベッドの中で寝返りをうった。
今日は平日で、今頃なら4時限目の数学が終わる頃の筈なのだが、リョーマは母親に頭痛が止まらないと仮病を告げて無理矢理学校を休んだ。
朝、迎えに来た桃城に母親がそう告げると驚いた顔をしていたそうだが、お大事に、と心配そうな顔で言ってくれたらしい。
頭が痛い、というのはあながち嘘ではない。
昨日、偶然にも出会った跡部とのやり取りを思い出して思考が纏まらなかった。
その為に考える時間が欲しくてこうして学校を休んでいる。
リョーマは、また寝返りをうってみた。
どうも、居心地が悪い。
それは、母に対してついた嘘のせいかもしれなかったが、恐らくは昨日のことが端を発しているように思えてならない。
昨日、跡部に2杯目を言い付けられて渋々カップにコーヒーを注いでやって席へ戻ると、礼も言わずに跡部は、それは恋だと自分に告げた。
意味がわからなくて聞き返してみれば、手塚に恋心を抱いているのだと言われた。
『待って。オレも部長も男なんだけど』
『アーン?んなこた重々承知だってーの。でも、まあ、好きになったもんはしょうがねえんじゃねえの?』
破顔した跡部の言葉がどうしても信じられなかった。
「オレが部長を好き……?ホント、頭痛い」
誰に言うとでもなしに、リョーマがぽつりと呟く。
これが恋だと言われても、ピンと来ない。
それもその筈で、リョーマには恋はこれが初体験だ。
見知らぬ事なのだから、ピンと来なくても仕様がない。
「オレが部長を…」
そして、また呟いてみる。
脳裏に浮かぶのは、手塚。
「いや、可愛いな、と思うところはあるけどさ。嫌いではないけど。いや、むしろ好きなタイプではあるし……」
「リョーマさん?」
突如聞こえた声に視線を部屋の入口へ投げると、同居している従姉の菜々子がトレイを手に立っていた。
トレイの上には湯気を立てた粥と水が乗っている。
菜々子の姿を認めて、リョーマはバツが悪そうに起き上がった。
「菜々子さん、せめてノックぐらいしてよ。あの親父じゃないんだからさ」
「あら?しましたよ。しましたけど、返事が無いから寝てるものだと思って」
何か考え事ですか?
にこにこと笑い乍らベッドへ歩み寄り、持っていたトレイを枕元に置いた。
「うん、そんなトコ。菜々子さん、今日大学は?」
「授業がお昼からなんですよ。この後すぐ出かけますから、食べ終わったら机の上にでも置いておいて下さいね」
そう言って、彼女はリョーマの学習机を指した。
「うん、わかった」
「安静にしててくださいね。それじゃ」
パタン。
菜々子が退室してから、リョーマはもそりとベッドから抜け出て、ベッドの縁に腰掛けて粥を啜り始めた。
「はーあ。今頃部長は昼飯かな」
無意識に脳裏を手塚が駆け抜けて行く。
そこで初めてリョーマは今日は部活に行けない事に気付く。
実に間の抜けた事ではあるが、今にして漸く手塚以外の思考を持つ余裕ができたのだ。
「今日は、部長に会えないんだ…」
ちくり。
ああ、もう、また……。
あの跡部って奴の言ってた通りなのかな。
これが、恋ってやつな訳なの?
さっきから、こうして仮定して、そして否定して、その否定したことをまた否定したりする悪循環が続いている。
いい加減にこの思考から脱したくて、粥を一杯掬って口へ運んだ。
咀嚼するまでもなく、喉へ滑り落ちていく。
口腔、食堂、胃、と通った道が熱を帯びて行く。
「ああ、ダメだ、らしくねえ…」
胃まで熱が落ちた辺りで、ポツリと言葉が漏れ、髪をガシガシと掻き回した。
「そうだよ、らしくない。こんなウジウジ悩んでるのなんて、オレじゃない……!!」
自分の声で喚起されたリョーマは、まだ一口しか手を付けていなかった今日の昼餉を自分の机に置いて、クローゼットの中からTシャツとハーフパンツを取り出して素早く着替えた。
「カルピン、オレ、走ってくるから!留守番頼んだ!」
突如バタバタと活動し始めた飼い主に気付いて床上で眠りこけていた愛猫が首をもたげたのを見計らってそう告げると、跫も乱暴に階段を駆け降りて玄関を飛び出した。
未だ家に居たらしい従姉が気が付いて玄関から自分の名を呼んだのなんて、もう聞こえていなかった。
「じゃあ、手塚、後は頼んだよ」
「ああ、気を付けて帰れよ、大石」
「手塚こそ、遅くならないようにね」
それじゃ、と軽く片手を挙げて大石は部室を出て行った。
これで、部室に残されたのは手塚一人。
黙々と部誌を書き始める。
手塚は、この部活後の一人の時間が好きだった。
生徒も殆どが学校を去り、物音はせずしかし開けられた窓から漂ってくる春らしい香りを堪能できる唯一の時間。
非道く心地が良い、一瞬。
次々に埋められて行く欄の中で、欠席者の欄に辿り着き、いつもは居る生意気なあのルーキーが休みだったと思い出す。
その名を書き込みながら、いつも越前に絡んでいる菊丸が少しつまらなさそうにしていた姿を思い出した。
他の一年が欠席理由は頭痛だとか言っていたことも思い出す。
鬼の霍乱、という奴か。
それだけを感じて、欄の続きにペンを走らせて行く。
間もなくして、ページが全て埋まり、頭から読み直して間違いがないかを今一度確認してみる。
そして、『欠席者 越前リョーマ』の所で不意に視線が止まる。
そういえば、明日の朝練はいつもより少し時間が早い。
誰か知らせるかもしれないが……知らせない可能性も無きにしも非ず、だな。
…知らせてやるか。
全ての欄に眼を通し終えてページを閉じる。
ぐっと腕を伸ばして、背を反らす。
体がほぐれていくのが判る。少し、楽になった気がした。
少しの柔軟をしてから鞄を肩に担いで立ち上がって扉を潜る。
施錠をして、更にそれを確認して、部室を後にする。
今の時間からすれば、帰りのバスが来るのは5分後程だ。それ程苦にする時間ではない。
そうしてぼんやりとバス停の前に立ち尽くしていると、こちらへ近付いてくる跫が聞こえる。
リズム良く弾む跫と、短く吐き出される息の音が聞こえる。
何かと思って、その音の方へ視線を向けると、先程自分が記した名を持つ少年がこちらへ駆けてくる。
いつもの様に帽子を目深に被り乍ら。
あれで前は見えているのか?
というか、今日は休みだったのではなかったか?
「越前」
相手が手を伸ばせば触れられる所迄近付いてきたので、声をかける。
手塚がかけた声にリョーマは驚いた様に顔を上げて足を止めた。
長い前髪から覗くのは、いつも見ていた意志の強い吊り上がり気味の端食み色の眸。
「ぶちょ、う?何でこんなトコにいんの?」
「それは此方の台詞だ。お前、今日は欠席してたんじゃないのか?」
リョーマが見上げれば、いつも見ている眉間の皺がそこに。
一日会ってないだけだというのに、そんな微かな物に妙に懐かしさを覚える。
「いや、そうなんだけどね。なんか、らしくないなって思って走ってるの」
「待て。お前は今日頭痛で欠席してたんだろうに」
手塚はそう報告を受けている。
頭痛だというのに、らしくないから走るというのはどういう訳なのか。
しかもリョーマは着ているTシャツが汗で張り付く程に汗をかいている。
一体、何時間走ったらこうなるのか。
「頭痛は、まあ、走ってたら何だか治った。病原体とも会えたし」
「いよいよ訳がわからん。お前、早く帰って寝ろ」
「うん、今から帰るところ」
怪訝な顔をした手塚に、にこり、とリョーマは笑む。
いつも見ていたリョーマの笑いは不敵に口の端を上げるもので、今、手塚の目の前で屈託なく笑うリョーマというものを初めて見て、手塚は正直、面食らった。
そんな瞠目した手塚に、リョーマは不思議そうに首を傾げて見せた。
「なにビックリした顔してんの?あ、バス来たよ。部長あれに乗って帰るんでしょ?」
「あ、ああ。そうだ、越前、明日は朝練は30分早いからな、遅れない様に」
「え!?ウソ、まじ!?オレ病み上がりだから少し遅れても勘弁してくださいよ」
「どこが病み上がりだ。何時間も走ってるんだろう。それぐらい元気なら明日もグランド走るか。10周にまけといてやるぞ」
冗談じゃない。
また、リョーマは笑う。
そこへ、滑り込む様にバスが到着する。
ドアが手塚を迎え入れんが様にスッと開く。
そこへ、足をかけてバスのステップを踏んだ時、後ろからリョーマが声をかけた。
「あ。ねえ、部長」
なんだ、と振り返ろうとしたのと同時にバスの扉が締まり、ガラス越しにリョーマが映る。
ガラスの向こうに居るリョーマは先程の笑みは何処へ行ったのか、酷く真剣な顔をしていた。
「 」
バスが発車するかしないか、という所でリョーマの唇が動く。
唇の動きからして、二文字の言葉。
二人の間に在るガラスのせいで、声は聞こえない。何と言ったか問い質すこともできない。
そのまま、バスはエンジン音を上げて走り出した。
何と言ったのだろうか、とぼんやりと思い乍ら手塚は比較的空いていた席へ腰掛けた。
たしか、こういう動きで…。
リョーマの唇の動きを思い出して、試しに心の内で発声してみて手塚の思考が止まる。
『ねえ、部長。
すき』
two-words,ツーワーズ。
没タイトルはめぐりあい宇宙(そら)でした。
今時の人には通じ難いタイトル考えんなっつうの、わたし!
う、うををを、年がバレる・・・!!
よ、ようやく手塚が・・・!!
わーん、みちゅこー!!誕生日おめでとさーん!(ヲツチケ)
さて、手塚の出現と共に本始動とばかりに動き始めた二人です。
今回は、企画の御意見板に頂いたご意見を織りまぜてみました。
ガラス越しの告白、ということで。い、如何だったでしょうか。どきどき。
次は、手塚の恋論の独白な予定です。
やっとこ誕生日企画っぽくなってきました。ひとあんしん。
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